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小松ヶ池の大蛇と村の娘、おつやの間に出来た子供は
あまりにも小さいので村の人々に「一寸坊」と呼ばれた。
景行天皇の危機に自分の命を引き換えに救った。
「一寸法師」とは違うものである。

山道を進む。

小高い丘にお堂が建っていた。

一寸坊上棟式

一寸坊の墓の全景。
大きな墓碑のそばにはいくつかの古い石碑の一部がある。
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一寸坊の墓
西暦83年、熊袈が朝廷に背き、そのためか景行天皇自ら九州に下向し、
豊国は長岐県(行橋市椿市)に行宮をたてる(日本書紀 第七巻)
村の伝説では一寸坊は小松ヶ池、大蛇の子で、景行天皇に仕え、
天皇の危機を身をもって助け、その褒美により49暁の寺を建立した事により、
供養塔が建てられたとされている。(小松ヶ池由来)
この多層塔は軒口が厚く垂直に切られ、屋蓋の勾配はゆるやかであり、
塔身も質素、重厚で、非常に造りが安定しており鎌倉時代の作と見られる。
現在では台座と塔身、二重の蓋、相輪のごく一部を残すのみとなっているが、
残存するものには、宝積寺本堂前と裏庭に、それぞれ蓋2個が残っているものの、
その他は現在でも不明のままである。
台座、塔身には梵字、四方仏の彫物などは見あたらない。
また相輪は、五重塔と同じく、上から宝珠、請花、水煙、九輪、請花、伏鉢、露盤からなるが、
伏鉢、露盤の石質は異質なもので宝珠のみ残っている。
勝山町教育委員会
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近くにあった池。
小松ヶ池は現存しないとのこと。