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福岡県福岡市博多区
皆さんは「冤罪」の意味の言葉、「濡れ衣を着せる」をご存知だろうか?
その「濡れ衣」の基となった言い伝えが九州は福岡に残っている。
筑前国司佐野近世の娘春姫が継母の策略で冤罪のまま、亡くなったという。
「春姫は深夜、釣衣を盗んでいる。それが証拠に春姫のの部屋に釣り衣がかかっています」
継母はこのように近世に告げ、これを信じた近世は春姫を殺してしまう。
それから近世の枕元に夜な夜な春姫が立ち、無実を訴える。
近世は自分の非を嘆き、継母と離縁して出家してしまう。
その娘の墓がこれなのだと伝えられている。
福岡に住む人ならば国道三号線を通っていると御笠川沿いにあるこの碑に気が付くかもしれない。

康永三年銘梵字板碑
聖武天皇の頃、継母に無実の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓と伝えられており、
「濡衣塚」とよばれています。
この石碑は、板碑と呼ばれる中世の石遺物で。玄武岩の自然石を用いています。
高さは約165cmで、梵字が正面3箇所に太く刻まれています。
最上段は大日如来(バン)、右下が宝幢如来(アー)、左下が天鼓雷音如来(アク)を表現しています。
康永3年(1344)の銘が刻まれており、南北朝時代の板碑であることがわかります。
この板碑は、本来は聖福寺の西門近くにあったといわれ、
江戸時代に御笠川の東に移されました。
そして、現在の場所へは御笠川の河川改修に伴って、2001(平成13)年に移築されています。
2002年3月
福岡市教育委員会