朱い塚-あかいつか-

処刑場に選ばれやすい土地
処刑場に選ばれやすい場所の共通点など…
処刑場に選ばれやすい土地はどんな場所なのか?
いくつか例と理由を挙げていく。


街道の道沿い(人の往来の激しい場所)でかつ、郊外。
今で言う旧街道沿い。
古く日本で行われていた処刑は「一罰百戒」の理念のもと、
犯罪防止の見せしめとして行われてきた。
見せしめとしてその処刑遺体を見せるためには
人の目につく場所や、都市の入り口に作る。
「この街で悪いことをするとこうなる」という見せしめである。
あまり都心部で作ると野犬・悪臭などがおこるため、郊外が多かった。

東海道など江戸時代有名だった街道沿いなど。
あとは宿町の入り口にも設けられることが多かった。



海、川、池など水場のすぐそば。
これは斬首など首を斬ったりした際に
処置を早めにするためである。


関所の近く。
古くから日本では国と国との境界点に関所が置かれていた。
関所破り(関所を通らずに境界を越えること)は重罪とされ、
磔(はりつけ)になることがあった。
刑の執行は関所の近くで行うことが多かったので、
関所の付近には処刑場があった可能性は高い。
しかし、幕府の監視の強かった場所に限られる。


城からみて鬼門・裏鬼門の場所。
これは地域によっても異なる。


寺社仏閣。
比較的広大な土地があり、人里から離れているなど、
条件が揃っているので寺社の敷地内で行うこともあった。
常設の処刑場を持たない場所でよく見られる。


江戸時代キリシタンがかなりいた場所。
常設の処刑場を持たない藩は石高の低い藩が多いが、
キリシタンが多かった地域は別である。江戸時代のキリスト教徒に
対する弾圧はすさまじく、通常行わない凄惨な処刑が行われた。


犯罪者が犯罪を行った場所、その住居。
これは記録がない地域ではほとんどわからない場所である。


またかつての処刑場跡地が処刑場に選ばれた例もある。
巣鴨監獄市谷監獄は江戸時代以前にも処刑場があった場所と
伝えられている。














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